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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)10679号 判決

原告 武藤いとみ

右訴訟代理人弁護士 笠原克美

被告 国

右代表者法務大臣 林田悠紀夫

右指定代理人 古川則男

〈ほか二名〉

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録二、三記載の各土地について昭和一二年七月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二事実主張

一  請求原因

1  別紙物件目録二、三記載の各土地(以下「本件係争地」という。)は、もと被告の所有にかかるものである。

2  原告の先代武藤ひfile_2.jpg(以下「ひfile_3.jpg」という。)は、昭和一二年七月、訴外柱某から別紙物件目録一記載の土地(以下「本件土地」という。)を買い受けたが、右売買にあたり、ひfile_4.jpgは、本件土地の範囲について、本件係争地を含む別紙図面イロハニホヘトチリイを順次直線で結んだ範囲内の土地と了解していたので、本件係争地が自己の所有にかかるものと信じ、以来、同人は本件係争地の占有を継続してきた。

3  本件係争地の占有開始にあたり、ひfile_5.jpgが自己の所有にかかると信じたのは、前記売買の際、売買当事者間では、本件土地の範囲を別紙図面のイロハニホヘトチリイを順次直線で結んだ範囲内とし、その実測面積は一〇五坪二合九勺である旨了解されており、本件係争地が含まれることは当然のこととされていたからであり、右のように信じたことに過失はなかったというべきである。

4  従って、遅くとも昭和二二年七月末日の経過をもって、ひfile_6.jpgは本件係争地を時効取得した。

5  ひfile_7.jpgは、昭和三三年一月二三日死亡し、同人の地位は相続により原告が承継した。

6  よって、原告は、被告に対し、本件係争地につき昭和一二年七月末日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をするよう求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は不知。

3  同3の事実中、過失がなかったとの点は争い、その余の事実は不知。

4  同4の事実は争う。

5  同5の事実は不知。

三  抗弁

1  本件係争地は、もともと、幅員約二・七三メートルの東西に延びる小規模な里道(以下「本件里道」という。)の一部であり、国有財産法三条二項二号の公共用財産であって、取得時効の対象とはなり得ないものである。

2  本件里道について、原告から本件土地の譲渡を受けた株式会社住眞(以下「住眞」という。)から、本件里道と本件土地の境界について昭和五五年八月二六日官民境界明示の申請がなされ、右の申請に基づき、東京都知事(本件里道の建設省所管国有財産部局長)は、同年一一月一四日、右住眞のほか隣接土地所有者らの立会いを得、昭和五六年六月三日官民境界の決定をし、公共用地境界図を作成した。右手続は国有財産法三一条の三に基づく境界確定の協議としてなされたものであるところ、前記両土地の境界を別紙図面ロヌトを結ぶ直線とすることに異議なく協議がととのい、本件里道と隣接各土地との所有権の範囲を確認し合ったものであるから、仮に原告につき昭和五五年八月二六日以前に時効取得が成立し、住眞や原告がその事実を知らなかったとしても、もはや時効の援用をすることは信義則上許されない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2の事実中、公共用地境界図作成までの経緯は認めるが、その余は否認する。

五  再抗弁

ひfile_8.jpgが占有を開始した当時、本件係争地はすでに完全な畑となっていたものであり、里道としての形態、機能を全く喪失していたものであるから、取得時効完成の妨げとならない。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。本件係争地は少なくとも昭和三八年ころまでは里道としての利用形態を有していた。

第三証拠《省略》

理由

一  本件係争地がもと被告所有にかかることについては当事者間に争いがない。

二  《証拠省略》を総合すると、原告の先代ひfile_9.jpgは、昭和一二年七月、訴外柱某から本件土地を買受けたが、右買受に際し、本件土地の面積の測量を工務店を経営していた中原が担当し、実測面積を一〇五坪二合九勺と確認し、これに基づき売買代金が決定されたこと、右測量にあたっては、本件土地に隣接する私有地の所有者ら全員の立会のもと境界を確認したが、当時本件土地は本件係争地部分を含めて畑状を呈しており、その南西角にはまさきの木が植えられており、南東角には木製の境界抗が打ってあったため、これらを結ぶ線を南側隣接地との境とすることで立会人らに了解されたこと、右確認に基づき中原が実測した結果に基づいた実測図面が作成されたが、同実測図面には、本件土地の西側公道と北側公道の表示はあるが、南側には公道の存在をうかがわせる表示はないこと、その後、ひfile_10.jpgの夫武藤長策は昭和一二年中に本件土地上に木造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅(床面積六三・六三平方メートル)を建築し、以来ひfile_11.jpgは同人と共に同建物に居住してきたものであるが、本件土地の南側境界線については別紙図面イリチを順次結ぶ直線と了解し、同線上にさわらの生垣を設置し(その後板塀に変更)、その内側にある本件係争地を右建物の敷地として使用してきたこと、その後昭和四五年六月ころ、原告は当時の南側隣接地の所有者である田中某の要望により費用折半で同線上に万年塀を設置し、今日に至っていることが認められる。

《証拠判断省略》

そうだとすれば、ひfile_12.jpgは、本件土地の買受にあたり本件係争地が自己の所有にかかるものと信じて占有を開始し、以来占有を継続してきたものであり、また、右のように信じたことについて過失がなかったものというべきである。

三  本件係争地がもともと里道の一部であり公共用財産であることについては当事者間に争いがない。

しかしながら、《証拠省略》を総合すると、本件係争地付近は完全に宅地化されており、それぞれの居住住民の敷地のほかに周辺に道路が存在したことをうかがわせる痕跡すらない状況にあることが認められ、右事実に前項認定の事実を総合すれば、本件係争地は、公共用財産としての形態、機能を全く喪失しており、本件土地のひfile_13.jpgの前所有者の時代以前から引き続き私人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのために実際上公の目的が害されることもなかったことが明らかであるから、もはやこれを公共用財産として維持すべき理由がなくなったものというべきであり、本件係争地については黙示的に公用が廃止されたものとして、取得時効の対象となりうるものと解すべきである。

四  従って、ひfile_14.jpgは、遅くとも昭和二二年七月末日の経過をもって本件係争地を時効により取得したものというべきである。

五  そして、ひfile_15.jpgは昭和三三年一月二三日死亡し、同人の地位は相続により原告がこれを承継したものであることは弁論の全趣旨により明らかである。

六  なお、被告は、住眞と東京都知事(本件里道の建設省所管国有財産部局長)との間に境界確定の協議が成立したことをもって、原告が時効を援用することは信義則上許されない旨主張するが、被告の主張によっても原告が住眞のなした協議の結果に直ちに拘束されるべき立場にあるとはいいがたく、原告による時効の援用が信義則に反するとはいえないから、右主張は失当である。

七  以上によれば、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 石垣君雄)

〈以下省略〉

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